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マレーシア視察旅行(クアラルンプール編)2007年1月23日

ペナンに2泊した後クアラルンプールに移動した。残りの8日間はクアラルンプールで過ごす予定である。KLIAに到着後、送迎の車にてホテルに向かった。ホテルはクアラルンプール一の繁華街であるBUKIT BINTANGにある、フェデラルホテルである。今回の旅行は前にも述べたがパック旅行であるのでホテルは決められている。フェデラルホテルはマレーシアで最初にできたホテルだそうだ。場所は大変便利でモノレールの駅に歩いて数分、食事・買物・コンビニに行くにも全く苦労は無い。ただ夜中以外はいつも道路は車で溢れており、あわただしい。観光には便利であるがとても住むところではない。着いた当日はジャランブキビンタンを散策し、おなじみのLOT10等に足を運んで大体の位置感覚をつかんでおいた。夕食は近くのアロー通りにある屋台で中華を食べたが、ペナンと比べると少し味が落ちるようで金額も高かった。

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ホテルの部屋はパック旅行の金額からすればこんなものだろうが、夜全部のライトをつけてみたら電球が3個切れていた。フロントに電話してすぐに交換してもらった。フロントの対応も良く、作業も手早かった。確かにマレーシアの電球は切れやすいと聞いてはいたのだが、客を迎える部屋でチェックもしていないのかとあきれてしまった。電球ではなくこちらが切れたいくらいだ。

先ほども書いたがこのホテルはクアラルンプールで一番最初に立てられたということであり、やはり水周りの問題点は多かった。水洗トイレの水はまさにコーヒー色であり、パイプの劣化があるようだ。さらに夜中の3時頃とうとう水洗トイレの水が出なくなってしまった。眠かったがフロントに言って部屋を変えてもらったのだが、なんとその部屋の水洗トイレも水が出ないし、おまけに電球が多数切れていてどうにもならないのでまた元の部屋に戻った。朝になったら水は出ていた。?????もう気にしないことにした。でも悪いことばかりではない。ホテルのバイキング形式の朝食は種類も多く、おいしかったと記憶している。写真はチャイニーズイヤーの飾りつけがすんだフェデラルホテルのロビー。

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マレーシア視察旅行2日目(2007年1月22日)

オプショナルツアーにロングスティのための視察というのがあったので申し込んだ。最初は地元の生鮮マーケットを訪れた。野菜は新鮮なものが豊富にある。それから日本人にとって嬉しいのはトロピカルフルーツが山ほどあることだ。見たことも無いようなものもある。魚は無造作に並べられていたが、僕に言わせると南国の魚は見た目は綺麗だが、脂の乗りが少なくパサパサ↓イメージがどうしても付きまとう。でも鮮度の良いものが手に入るのならば、料理法しだいでおいしく食べられるかもしれない。肉は安い。値段表があったが、日本と比べるとびっくりするほどだ。如何に日本の肉が高いかということだろう。

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続いて日本の食材を扱う店を見学した。調味料・菓子・レトルト等すべておいてあり不自由はしないだろうが、価格は高い。

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医療施設の見学もコースに入っていた。日本語スタッフ(中国系)も常駐していて見学者の案内をしてくれたが、設備は整っており日本のそれと比較してもまったく見劣りしないものであった。

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コンドの見学も3ヶ所ほど含まれていた。インターネット等である程度の情報は得ていたので、大体予想通りではあったが、日本人の感覚では3ベッドルーム(または2ベッドルーム)・2バスルームの造りは広々としており、コンド内にはプールやテニスコートがあり、1ヶ月の家賃が10万円以下というのは本当に魅力である。ただ家賃が安めのところは、特にバスルームやキッチンなど水周りが使用感があり、清潔感いっぱいという感じではなかった。全般的にコンドも街の造り、施設なども少し古めの感じがした。

昼食は中華の点心と屋台のマレー料理が選べるということであったので、点心を選択したが味も量も満足できるものであった。食に関してはペナンは合格だ。

夜はナイトマーケットが開かれるということでホテルのワゴン車で送迎してもらった。客は僕たち夫婦の他にオーストラリア人の若いカップル、ドイツ人の老夫婦であった。結構色々な所からの観光客がいるようだ。運転手はレゲエでもやりそうな兄ちゃんでこの男の運転がまたすごい!カーブのたびに客は左右に振られる。降り際に「あんたはレーサーか?」とジョークを言ったら、車内では大うけだった。帰りはちょっとばかりおとなしい運転に変わっていた。夕食はナイトマーケットの近くのフードコートでいろいろなものを少しずつ食べたがやはり旨かった。

マレーシア視察旅行1日目(2007年1月21日)

2006年1月にランカウイ島へ旅行してマレーシアという国に対して好感触を得ていたが、いろいろ調べていくうちにリタイア後の生活の地としてマレーシアが適していることがわかってきた。そこで9泊11日の視察旅行を計画し、僕たち夫婦が生活することが可能かどうか、試してみようと思い立った。目的地はペナン・クアラルンプールである。

4泊6日のペナン・クアラルンプールのパック旅行を延泊することにして9泊11日の視察旅行に仕上げた。英会話スクールNOVAに入学した時に景品としてもらった旅行券が一人4万円、二人で8万円分あったのでずいぶんとお得な旅行をすることができた。

出発当日朝5時起きでタクシーにて所定の中部国際空港直行バス乗り場に向かう。このバスは大人片道3,000円であるが、大きな荷物も一人3個まで持ち込めるのでスーツケースにゴルフバッグなどという組み合わせでも全く問題ない。係員がすべて出し入れしてくれるので女性一人で荷物が大きくても苦労することは無い。今回は夫婦でスーツケース二つだけでゴルフバッグは持ち込まなかった。東名高速利用で1時間半ほどで中部国際空港(セントレア)に到着した。

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セントレアからKLIAの直行便エアバス社の機材を利用 大変便利だったが2008年1月から廃止されてしまった。

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KLIA内の両替所

マレーシア航空にチェックイン、10時45分発、16時過ぎにはマレーシア、クアラルンプール空港に到着。空港内のマネーチェンジャーで1万円ほどリンギに交換した。街の両替屋よりもレートが悪いので困らない程度の額だけにとどめておいた。その後国内線に乗り換えてペナン島に向かう。乗ったと思ったらすぐに到着。パック旅行なので送迎付き、便利である。ペナンではタンジュンブンガにあるコプトーン・オーキッドホテルに2泊の予定で泊まることにした。料金はそれほど高くなく、朝食の評判が良かったのでここに決めたが、回りでコンドの工事をして少し騒々しかったかな。料理のほうはあまり印象に残っていない。ホテル到着後霧雨が降っていたが通りの反対側にある、フードコートに出かけてその日の夕食をとった。確かにペナンの料理は聞いていた通り、安くて旨い。現地料理ばかりというわけにはいかないだろうが、外食が口に合うか、合わないかは生活していくうえで大事な要素である。

海外移住を成功させる秘訣

リタイアして海外移住をする場合、それを成功させるにはいくつかの秘訣というか条件があると思う。

一つは前回書いた夫婦共通の趣味を持つこと。別に共通でなくても良いのかもしれないが、われわれ夫婦の場合には一緒に趣味を行うことが、重要だと考えている。ゴルフ・テニス・読書等だ。読書については妻は最近日本の歴史に興味を持ったようで、マレーシアで時間をかけて読み漁りたいと言っている。僕は歯科医師という仕事柄、専門書は読むことは多かったが、その他は雑誌を見るくらいであまり読書をしなくなっている。でも決して読書は嫌いではない。マレーシアに行けば時間はたくさんある。小説・伝記・歴史…その他何でもよいから読書の時間をたっぷり取ろう。ボケ防止にもよいだろう。

もうひとつの秘訣は家事を分担することである。現役時代は(今も現役であるが)一日のほとんどの時間を仕事に取られてしまうので、家事は専ら妻の仕事であった。でもリタイアすれば同じ条件である。前からリタイアしたら洗濯・掃除・料理等の家事を分担して妻の苦労を減らしたい考えていた。洗濯・掃除は特に難しいものではない。ただやる気があるかどうかである。マレーシアではこの部分はメイドを雇って楽をするかもしれないが、食事については健康面を考えても外食ばかりというわけにもいかないだろう。この部分では妻を助けてあげたいと思っている。

そんなわけで時間に余裕がある時には極力料理を作るようにしている。焼肉と鍋とカレーライスと目玉焼きは得意であるが、他はやったことが無いので妻の指導を受けて料理の練習をしている。最近では農薬混入の影響もあり、餃子を作った。それから大好きなフキノトウが手に入ったのでてんぷらをマスターした。今日は患者さんから新たまねぎを頂いたので、オニオングラタンスープに挑戦した。インターネットでレシピを探し1時間かけてあめ色になるまでたまねぎを炒め続けた。家庭の主婦ではこんな時間を掛けることはできないのではないか、と思った。料理も結構面白い。もう一つの趣味になりそうだ。もちろん皿洗いはサボってはいけない。そこまでやって料理なのだ。

夫婦共通の趣味を作る

あと1年したら息子に仕事を任せ、リタイアしてマレーシアに住むことを決意した。それに向けて今息子を特訓中。息子はのんびりした性格で自分から積極的に仕事をするということがないので、それくらいの刺激を与えることが必要だと思ったことも事実かな。今僕は56歳だから世間の常識からしたら少し早いのかもしれないが、四捨五入すれば60歳だなんて勝手に思っている。

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しばらく前から妻と話し合って夫婦二人だけの生活になったら、何か共通の趣味が必要ではないかと考え、長期間にわたって楽しむことができるスポーツとしてゴルフとテニスをやろうということになった。日本ではゴルフは金のかかる遊びと考えられているし、なかなか夫婦でゴルフをやる環境には無いが、マレーシアではプレー代も比較的安く、夫婦でも楽しめると思ったのだ。

誰も最初はそう思うのだろう。「ゴルフなんてちょろいよ」と。ところがどっこい、止まっているボールを打つのが難しいこと、難しいこと。何でまっすぐ飛ばないの。でもたまに出るナイスショット。これがたまらない!もうゴルフのとりこである。

3年ほど前からゴルフを始め、今は2ヶ月に1回程度しかラウンドできないのでなかなか進歩しないのが悩みだ。僕は酷い花粉症があり、春と秋の一番良い時期に満足にプレーできないのが辛い。仕事柄丸々1日の休みが取れないのでどうしてもこんなペースになってしまうのだ。今日から妻はレッスンプロについて指導を受け始めた。そのうち効果が現れるだろうと期待している。

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そんなわけで夫婦ともゴルフの腕はまだまだだけど、妻は当たると結構飛ばす。白ティーとレディスティーの距離が離れているときなど、時々オーバードライブされて悔しい思いをしている。スコアではまだ妻に負けたことは無いが、結構良いライバルかもしれない。マレーシアに行ったら週3回位はゴルフをしたいと思っている。

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昨年12月にはMM2HPのビザ取得のため、1週間マレーシアを訪れたが、そのスケジュールの合間を見つけ、ゴルフを楽しむことができた。この期間雨が多く、芝は濡れた状態が多くコンディション的にはいまいちであったが、やはりゴルフは半袖でプレーできるのが最高だ。妻の強引な誘いに負けて年甲斐も無く赤のペアルックでプレーしてしまった。

英語

マレーシアに移住している先輩たちは移住に必要なものは語学・パソコン・車だと言う。確かにその土地での生活を充実したものにしようと思うならば、必要となるものだと思う。特に意思の疎通を図る道具、言葉は最も重要だと感じる。中には「日本語だけでマレーシアで生活するには困らないよ」と言う人もいる。日本人会という組織があり、そこには日本食のレストランもあるし、日本食材も販売している。またいろいろな趣味の多数のサークルも充実しているようだ。でも行動が制限されてしまうし、狭い社会から抜け出したかった僕にとっては海外に来た意味が薄れてしまう。

マレーシアには多くの人種の人たちが住んでいる。マレー系・中国系・インド系・白人や日本人を含むその他である。公用語はマレー語であるが、中華系は中国語、インド系はヒンディー語を話す。そして彼らが共通に話すのが英語である。と言ってもマレーシア人全員が英語に堪能なわけではない。ランカウイ島ではホテルやレストラン・タクシー等では問題なかったが、現地では英語がわからない人もいるようだ。首都のクアラルンプールではほとんど英語で不自由は無かった。 そんな訳で多少なりとも学習経験のある英語を勉強しようと考えた。

とは言っても大学の2年生の時以来35年間も英語から遠ざかっているのでほぼ英語の能力は白紙状態である。おまけに僕らの学生時代は今のようにリスニングの授業というものが無く、文法オンリーの英語であったので全く実用にならない。そこで妻を誘って3年計画で英会話を習うことを計画した。いったいどのくらいのことができるのだろう。2006年8月のことである。

移住スケジュール変更

2007年1月にマレーシアへの視察旅行を行い、クアラルンプールでの生活が可能であることの意を強くしたため、同年秋、10月ころを目処にしてマレーシア・マイセカンドホーム・プログラム(MM2HP)を申請しようと準備を始めた。

しかし予想もしない変更がこの制度に起こった。今までもMM2HPの制度は目まぐるしく変わってきたから、有り得ない事ではなかったが…。2007年4月中旬、マレーシアの観光省のHPを見ていたら、何と6月1日からビザの個人申請ができなり、すべて登録業者を通しての申請のみ受け付けるとのこと。個人申請については言葉の問題や自分が日本国内に在住していること等があり、難しいことはわかっていたが、生来のチャレンジ精神でマレーシア生活のスタートを自ら苦労してみようと考えていたのだ。この苦労が絶対後で生かされると。

申請のための準備は始めかけたところでほとんどゼロに等しかった。9ヶ月かけて行おうとしていたことを1ヶ月程でこなさなくてはいけない訳だから、明らかに無理なことはわかっていたが、ダメもとで必要書類を取り揃え、5月下旬にEMS(国際スピード郵便)を使ってマレーシア観光省に送った。

観光省の日本人スタッフ、戸川さんが質問に対して明確に回答してくれたり、手続きの進行状況をメールで伝えてくれたので審査も無事通過し、7月付けでアプルーブを得ることができた。

2007年5月  日本からMM2HP申請

     7月  仮承認が下りる

     8月  アプルーブ書類が郵送されてくる

    12月  訪馬し定期預金口座開設、健康診断、医療保険加入
         イミグレにてビザ取得

今ここまで経過したところである。MM2HPの特典である現地生産車の無税での購入が認められるのがビザ取得後1年以内であり、最初は日本にいながら代理申請をする予定であったが、この時期になってマレーシアに行きたい気持ちをどうしても抑えられなくなって6月中旬から1ヶ月間マレーシアを訪れることにした。今後は以下のスケジュールで進んでいくはずである。多分…。

2008年6月  訪馬、車の購入手続き、住む場所の絞込み・コンド見学等
          友人訪問、それから遊び(1ヶ月滞在)

2009年2月か3月  再度訪馬し、コンド決定契約

     4月  引越し、移住完了  

移住計画

最初移住計画を下のように立てた。

2006年6月  移住計画を発案

            妻を説得了解を得る

     8月  NOVAにて英会話開始(3年計画)

            調査旅行のための準備

2007年1月  マレーシア調査旅行12日間(ペナン、クアラルンプール)

            必要書類を準備

注:MM2HPとはマレーシアにおけるリタイアメントビザで最高10年まで滞在可能
http://www.mm2h.gov.my/japanese/

     10月 MM2HPの個人申請開始(必要書類の送付)

            ただ待つのみ

     12月  MM2HPアプルーブ入手

            健康診断・医療保険・定期預金の手筈を整える

2008年5月  マレーシアにてMM2HP取得(1週間)
あるいは6月

      移住のための準備

 2009年4月  マレーシア移住

2007年1月の視察旅行までは計画通り進んだ。ところがどっこい、やはり計画はあくまで計画、特にマレーシアが相手だ。その後計画はもろくも崩れ果てた。

初マレーシア…ランカウイ島

歯科医師という医療に関する仕事柄、30年前に開業して以来長期の休暇というものを取ったことがなかった。長期の定義がどのくらいの長さをさすのかは定かではないが、僕の診療所の休暇は年末年始及び夏休みとしてそれぞれ1週間取るのが限度であった。しかしこの時期はどこへ行くにも込んでいるし、旅行費用も一番高い時期である。そんな訳で行けたとしても国内旅行か近場のアジア・グァム・サイパンというパターンが多かった。所謂、安・近・短である。

2006年1月1日、初めてマレーシア、ランカウイ島へ4泊6日の旅行に旅立った。目的は日ごろのストレス解消のため、ただただのんびりすること、朝の涼しいうちにホテルのテニスコートで妻とボールを打ち合い、ビーチで寝転びながら本を読む、暑くなったら水遊び、それに飽きたら島巡りと何も特別なスケジュールは立てない安~いパック旅行であった。

今までもインドネシア・ベトナム等東南アジアには旅行したことがあったが、町の中はごちゃごちゃとしていて、表通りはバイクや自転車で溢れ、裏通りは独特の臭気が漂い、ローカルフードは旨いものの何かしら好きになれない部分があった。中でも一番嫌だったのが、観光客相手の押し売りである。観光客と見るやくっついて離れない。中には子供に商売させて大人は何もせず遊んでいるという場面も目撃した。彼等にとっても生活がかかっているから仕方がないのだが、とにかくしつこくて閉口する。

しかしランカウイ島ではそうしたところがまったくなかった。ナイトマーケットや屋台街を歩いても一度もしつこくされたことはなかったし、人々もせかせかしたところはなく良く言えばすごくのんびりとしている。悪く言えば時間にルーズということであるが…。ランカウイはアンダマン海にある小さな島で本当に何も無い。残念ながら海の綺麗さについては完全に期待を裏切られた。紺碧の海とはいかなかった。しかし、第一印象、マレーシア悪い感じはしなかった。マレーシア移住を考えることになったのはこんなところに伏線があったのかもしれない。

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写真はランカウイ島のマングローブ探検ツアーで見つけたオオトカゲ。おどおどしていて可愛かった。

プロフィール



ハンドル:Dr.Selfish

静岡県出身、男性、既婚、現在58歳、現役歯科医師。

腕には自信がある。しかし53歳を越えるころより目が弱くなってきたのを実感。それと共に集中力の減退を痛感する。また10年ほど前に始まった花粉症が3~4年前から症状拡大悪化を続け、最近では呼吸も苦しくなるほどであり、集中力の減退に拍車をかけている。花粉症ではない人にとっては「たかが花粉症」かもしれないが「されど花粉症」、いやいや重度の花粉症患者にとっては生きて行くのが嫌になってしまうほどの大問題である。

本気で花粉症のない場所に移り住もう…と探した結果、候補に上がったのが「マレーシア」。もちろん理由は花粉症だけではない。歯科医師という仕事、開業してしまえば「お山の大将」、若くても自分が責任者だから「お山の大将」でなければやっていけない部分もあるが、やはりどうにも住む世界が狭くなってしまう。僕のもともとの優しい?性格も自分中心の嫌な奴になってしまったかも知れない(でもってDr.Selfishなのだが)。天職として歯科医師を身体の続く限り、勤め上げるのもひとつの生き方であろう。でも僕はどうしても身体が動くうちに他の世界を経験してみたかったのだ。妻にも大変な苦労をかけたと思っている。そのご褒美を海外生活という形で妻にプレゼントしたかったのである。で妻にも相談したところ(妻に言わせると…すでに決まっていて半強制的…らしいが)、同年代の同業者より若干の早期リタイアしてしばしマレーシアで第3の人生を送ることを認めてくれた。

仕事の整理と移住のための準備で約3年弱の期間を取った。そしてすでに2年弱が過ぎた。夫婦で頑張って何とか先が見えてきた感じだが、1週間程度の海外旅行に数えるほどしか行ったことのない僕たち夫婦が本当に外国になんか住めるのか?周りも自分たちも半信半疑なのである。僕たちが何を考え何をやっているのかを、家族・親戚・友人達に知ってもらおうとブログを立ち上げてみた。かくして僕たち夫婦のマレーシア移住が始まろうとしている。

写真はマレーシアの首都クアラルンプールを象徴するランドマーク、「ペトロナスツインタワー」
高さ452mの88階建てで、マレーシアの国立石油会社ペトロナスによって建築された。 世界2位の高さを誇る。ただし、ツインタワーとしては世界一の高さを誇っている。この塔はイスラム様式でマレーシアのモスクに似せて作られている。タワー1は日本の建築会社ハザマがタワー2は韓国の建築会社サムソンがそれぞれ建設した。2本のタワーの41階と42階を結ぶ連絡橋(スカイブリッジ)は、フランスの建築会社が施工した。昼間の姿はメタリックであるが夜になるとライトアップされ、幻想的な姿を見せる。中には伊勢丹が入っておりいつも賑わっている。
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